私の心情(272)―地方都市移住63 退職に向け人とのつながりを重視する(滋賀)
2拠点生活の変遷
今回インタビューさせていただいたのは、横浜から滋賀県に拠点を移された61歳のNさん。まずは滋賀県への移住の概要です。もともとNさんご夫婦は大阪出身ですが、横浜にお住まいで、Nさんは大手精密機器メーカーに勤務、2歳年下の奥様は保育士をされていました。Nさんは3年前の58歳の時に裁量労働制でほぼリモートワークであったので、複業として滋賀県の地域おこし協力隊の活動を実現しました。
それに合わせてNさんが滋賀県に拠点を移され、一方奥様はそのまま横浜で保育士の仕事を続けられていました。夫婦が拠点を別々にする2拠点生活になり、さらに昨年春に奥様は「私もやりたいことをやろう」と一念発起されて、大学時代に住んでいた京都に移住されました。京都でも頻度を下げて保育士の仕事をされて、あとは生活を楽しんでいらっしゃいます。
その結果、賃貸だった横浜の住まいは引き払って、2拠点生活は、Nさんの滋賀県と奥様の京都という形に変わって継続されています。
スタートはリモートワークが後押し
滋賀県に拠点を置いたのが、3年前の春。60歳定年の会社ですが、58歳の時に今のパターンに切り替えることができたのは、いろいろな好条件が重なったためだと分析されています。東京オリンピックの混雑回避策からリモート会議が可能になったこと、上司がそうした環境の中でリモートワークを認めてもいいという方向に傾いていたこと、また自身の業務が上司、部下が一緒にいなければならないような業務でもなかったこと、などがこうした決断を後押ししてくれたようです。
滋賀県に住みながら、当初は月に1回程度横浜に“通勤”することはあったものの、60歳になるときに近隣の事業所への勤務を願い出て、短時間勤務(通勤は週1‐2回程度)に変わっています。ただ、IT系の仕事であることもあって、所属する事業所は変わったものの、大手精密機器メーカーで継続雇用を続けながら、地域おこし協力隊として滋賀県でバーを経営するという複業体制を続けています。
客観的にみると、大企業であることで、再雇用契約の自由度やリモートワークの許容、さらに各地に事業所があることなど環境面が整っていることが大切なポイントのように感じられます。
夫婦の新しい距離感
ところで再雇用、2拠点生活を始めるにあたって奥様からは決して大賛成というわけではなかったようです。「あなたは勝手に決めて」という指摘もあったようですが、ただこれがセカンドライフのことを夫婦で話すことにつながり、夫婦の新しい距離感を模索するきっかけになったようです。夫婦の距離感というのは本当に大切なポイントだと思います。「鎹(かすがい)」となっていた子どもが巣立ち、夫婦だけの生活になると、その距離感は今まで通りとはいきません。その解決策の一つが2拠点生活となるのは一つのアイデアではないでしょうか。
ただ、奥様に釘を刺されたのが、「社会保険だけは加入し続けてね」というもの。確かにNさんは浪人生活もあったことから社会人のスタートが遅く、64歳まで社会保険料を支払わないと、例えば厚生年金は満額の受給を受けられる40年になりませんから、まだまだ会社員勤めは必要だということです。
会社人間では退職後のネットワークは細るばかり
そもそも地方に移住しようと考えたのは5年ほど前のことだったようです。ただ20年くらい前だったかNさんが人事部で勤務され、OB会の担当をされていた時、60代前半のOBは会社のつながりを求めるけれど、だんだんその会社へのつながりがフェードアウトしているように感じたそうです。退職すると、会社員だったころのコミュニティそのものが徐々に弱まっていくように感じたことがあって、会社人間でいることの限界というか、問題点を感じたとのこと。そうした思いが底流にあって、その後、社外にネットワークを求めないといけないのではないかという強い思いにつながりました。
そんな時、きっかけになったのが、投資をしていたある独立系運用会社の創業者が退職して立ち上げた非営利株式会社eumoの活動に興味を持ったことでした。そこのアカデミー生の第一期生になり、2019年くらいから地方に興味を持ち始め、それがお金より生活に視点を移し始めたきっかけともなったそうです。
地域おこし協力隊で本籍地に移住
最初は岐阜県高山市、福岡県八女市、愛知県岡崎市などに訪ねて話を伺ったそうですが、どこか他人に紹介されたところは今一つ、自分に腹落ちがしない感じを持っていました。
そんななかzoom会議の雑談のなかで、滋賀県の今住んでいる町の地域おこし協力隊が隊員の募集をしていることを知ったそうです。実は、この町は自分の本籍地で、祖父が高校を卒業するまで住んでいたところ。実際にお墓もあります。もちろん今まで住んだことはなかった町なのですが、そんな縁もあって地域おこし協力隊に参加を希望したとのこと。58歳という年齢もあり、採用の可能性は低いかもしれないという懸念もあったようですが、移住したいという思いが強く、しかも地域おこし協力隊は、3年間、国の制度として経済面を含む生活支援があるので、これはちょっといいチャンスかもしれないと思ったようです。
地域おこし協力隊の面白さ
同じエリアに来ている協力隊は自分を含めて9名。全国で7000人強の協力隊は、国が財源を持って、運用は地方自治体で行っている活動です。地域によって、いろいろなパターンがあるようですが、Nさんがいる協力隊は、地方に定住するために起業をし、その準備のために3年間の協力隊期間を使ってほしいというもの。9名はそれぞれの地元に定住するための起業プロジェクトを進めているところです。
Nさんは地元でバーを経営していますが、毎日働くというのではなく、週2日と隔週土曜日だけの営業です。周りの人にはもっと営業日数を多くして欲しいといわれているようですが、3年の間に後輩の伴走役も務める仕事もあり、意外に多忙だったようです。
Nさんの場合、協力隊の仕事として、後から入ってきた人たちの伴走役の部分もありました。週に2-3回くらい役場の人との面談に時間を取られ、9人のうち6人は面接にも協力するなど、それなりに負荷がかかっていたようです。ただ、この点を話しているNさんには、それを楽しんでいる風情が強く、これも人のつながりを重視したいと考えているからかもしれません。
苦悩も多い
他の地域おこし協力隊メンバーは、カフェや総菜屋、酒造、ワーホリ用施設、フリースクール、堆肥づくりなど多様な起業計画を進めていますが、その人たちがビジネスをうまく立ち上げ地元に定住してくれることが大きな目標です。
ただ、全国的には、3年過ぎた後1年経って地元に残った人は7割です。協力隊は30代が多いので、3年間の給与がもらえなくなって、ビジネスが立ち上がらなければやめるしかないのが実情です。地域おこし協力隊の管理があまりうまくいっていないのも原因かもしれない、とNさんは考えています。中間支援団体といわれるコンサル会社が行政と個人の間にあったり、役所の中に担当者がいたりして、その人たちが隊員のマネジメントをするという建付けになっていますが、なかなか手が回っていないのが実情のようです。
退職者には起業しやすい面も
Nさんはあと2か月で3年の隊員期間が終了して、隊員としての給与(280万円程度)はなくなります。若い方にとってはそれがなくなることはかなりの痛手ですが、高齢者にとっては年金受給が見込めることからもう少し軌道に乗せるまでの時間があると感じています。
Nさんも、週3日しかバーをやっていないので、儲けるというよりは家賃払って食費を出して何とかトントンという水準とのこと。その他の生活費も含めると、再雇用での収入も加えて何とかなっているのが実情のようです。もちろん滋賀県で生活する分には月10万円あればなんとかなるとのこと。
ちなみに家賃は横浜の3分の1の水準で済んでいて、「京都と滋賀を足しても家賃は横浜よりも安い」とのこと。実はNさんの場合、「京都の家賃と光熱費は私負担なんです(笑)」と、個別の事情もあるようですが。
ところでNさんは、もう一つ起業をしようと準備中です。仲間と組んで、近江鉄道にある駅近の古民家を買い取り、カフェとしてスタートさせ、コワーキングスペースへの展開も狙っているとのこと。また場所の活用方法の一つとして、一緒に買い取った蔵をスタジオとして使わせてもらおうとも考えています。趣味のカメラを生かすだけでなく、この拠点を地域にアピールするために、写真を撮りに来ていただいた方にSNSでその写真を送り、地域の高齢層へスマホ活用を促進するといったプロジェクトにも使えると期待をにじませています。孫の写真を送るというアイデアも。また、ファイナンシャルプランナーの方に、地元でライフプランをやってほしいなど、夢は広がっています。
地方移住に成功するポイント
私は、地方都市移住を促進するひとつの理由として、相続に伴う地方から都会への金流を逆流させる方法として紹介することもあるのですが、Nさんは「移住には、お金にない価値、人のつながりの価値をどう再構築するかということが大切ではないか」と指摘されます。地域おこし協力隊を活用することは、そのひとつの手段なのでしょうが、大多数はそうした制度を使わない移住者の方でしょうから、自分で人のつながりを作り上げることが大切になるでしょう。
実例として挙げていただいたのが、「退職後の移住は、そもそも都会で疲れて人とつながりたくないから地方に移住するという人が多いと聞いています。地元の商店街で買い物するより、車を使って大きなショッピングモールでの買い物で済ませてしまうようだと、結局、その土地の人たちとのつながりを創り出せず、地元の人から見ると、その土地にいつ来て、いついなくなったのかわからないというような高齢者が多くなる」とのこと。確かに、これでは地域の人に受け入れられることはないと思います。
フィンウェル研究所の「60代6000人の声」アンケートでは、「生活コストの削減が移住評価の4分の3を占めているものの、人とのつながりの再構築を上げる人も意外に多い」ように感じます。
収入ポートフォリオの計画性
最後に収入面の話も伺ったので、まとめておきます。計画では、58歳からの3年間は、労働裁量制での勤労収入と地域おこし協力隊の収入が中心になり、60歳からは再雇用契約(短時間勤務)と起業したバーからの収入も多少見込めることから、年収は600万円程度になっているようです。
3年間の地域おこし協力隊の収入がなくなる今年4月からは、短時間勤務からフルタイム勤務に戻して65歳の定年まで少し勤労収入を増やす (短時間勤務から通常勤務に切り替える) ことも可能だと考えていらっしゃいます。それに起業したバーの収入も多少は期待できるはずです。
そのパターンを4年ほど続ければ、65歳からは年金収入が想定できます。今回の取材では肝心な資産収入に関するところまで話が行きつきませんでしたが、今のところ資産の取り崩しの必要はないとのことでしたから、65歳以降にこの部分もある程度想定できるとすれば、全体としてかなり計画的な後半人生の設計ではないかと考えます。
なお、資産面では、実は大阪にマンションがあるそうです。結婚したときに大阪でマンションを買って、新婚時代に3年くらい住んだ後、勤務地が東京、横浜となり、ずっと賃貸に出してきました。もちろん住宅ローンは完済していますが、何しろ築50年くらいになっているので、どれくらいの資産価値になるのかはよくわからないようです。
インタビューを終えて
今回、京都でインタビューをさせていただいたNさんのお話は、非常に示唆に富んでいました。地域おこし協力隊の話はヘッドラインでみることは多かったのですが、その実態を伺うと退職世代の地方移住のモデルケースのひとつになるような気がしました。地域おこし協力隊の中心は30代とのことのようですが、3年間の給与が担保されるだけではなかなか成果は出しにくいものです。それに比べて、退職世代は年金給付をうまく使いながら、地元での定住が可能になります。そのパイオニアとしてNさんが活動されていくことを心より念じています。