私の心情(17)-地方都市移住ー今治市に移住したOさん、「私、お金に困ってないの」

お金に困ってないの

松山駅から予讃線の1両ワンマン電車に乗ってインタビュー先に向かいます。出発して15分ほどで堀江駅に着き、そこを過ぎるとすぐに「海!」と声を出しそうに。昨日の雨がすっかり止んで今朝は晴天、気温も高めで車窓から見る海は輝いています。松山から1時間弱で、最寄り駅の波方に降り立ちました。

無人駅。駅舎もなく、ホームから階段を下りると駐車場らしきスペースがあるだけ。これは地方“都市”移住じゃないかもしれない、と心配しているところに、赤いベンツの前に立っている女性が「野尻さんですか?」と声をかけてくださいました。今回、インタビューを受けてくださるOさんです。

車で5分ほど走って海の前に立つご自宅に案内いただき、インタビューなら「自宅にぜひ来てください」とおっしゃった意味が本当によくわかりました。目の前が瀬戸内海。軒下をぐるっと回ると南向きの玄関。その前には野菜園。お母さまと同じ敷地に7年前に新築した100㎡ほどの平屋のご自宅。玄関を上がらせていただくと、オフホワイトで統一されたリビング・ダイニング。「バブルの頃のマンションみたいでしょ」とご主人とのなれそめから話が始まりました。

61歳のOさんは、東京の大学を出て大阪で保健体育の教員に。24歳で19歳年上のご主人と結婚。ご主人が子どものできない体質だったことから、両親に猛反対された。「お付き合いの頃は、親しい友人のようで、自分のお見合い相手に関する意見を聞いていたりしたのよ」。でも結局、「生涯一緒にいられるのはこの人」と思い、「子どもができなくてもいい」と気持ちを決めて結婚した。

ご主人は大阪で、テレビの制作会社を経営されていたとのことで、「バブルの頃は派手だった」と振り返っていらっしゃいました。東京から横浜までタクシーに乗って中華料理を食べに行ったり、オーストラリア旅行はファーストクラスを使って一流ホテルに泊まって・・・大阪天王寺のマンションでの生活も楽しかった」などなど。

でも大阪は自分には合わないと感じていて、ご主人が仕事を辞めたら、海の見えるところに住もうと移住を考えていたとのこと。実は、Oさんのご主人は先ごろがんのため亡くなられています。ご主人が65歳の時に退職をされて、病気が見つかったことも移住を後押したのではないでしょうか。移住先として、「沖縄、岡山、松山なども見たんですけど、沖縄は観光で来るところって感じたし、岡山、松山にはいい物件がなかった」ことから、「結果、親が住んでいた今治を主人も気に入ってくれて、ここに落ち着いた」とのこと。

今治市のご自宅での生活で大変だったのは、「ご主人が地元の病院では安心できない」と考えていらしたこと。本当なら東京の病院に通院したかったけど、さすがにそれは無理とのことで最終的には大阪でそれまで掛かっていた病院に通院することに。「7年間、毎月1回、大阪の病院に今治から車で4時間くらい通院していたのよ」と淡々と話されるOさん。私が「それは大変でしたね」と水を向けると、「実は月1回のしまなみ海道を使った大阪旅行みたいなもので、車の運転も好きだし、一泊してくるわけだし」と意外にもその生活をなつかしんでいるご様子もうかがえた。

今の生活は、「2匹の犬の散歩を午前と午後の2回、それぞれ1時間くらいを別々に連れていく」ため、犬の散歩だけで1日4時間は使っている。それに野菜を育てているので、その手入れを考えると、「1日、忙しくしているんです」とのこと。昔住んでいらっしゃった土地でもあるので、きっと地元の方とのコミュニケーションにも積極的にかかわっていらっしゃるだろうと思ったのですが、「ほとんど無いわね」とのこと。犬の散歩と野菜で一日時間が過ぎてしまう。でも「近くにスポーツジムがあれば、そこには通いたい」と思っていられるようだが、近くにないのが残念らしい。

ところで、「今の生活は金銭面ではどうですか?」と伺ったところ、「今は、お金に困ってないの」とあっさりおっしゃいました。今はご主人の遺族年金とご自身の国民年金で月20万円くらいは受け取れていて、「旅行には行きたいと思うけど、ワンちゃんを残していくわけにはいかないし。それにもう海外旅行は本当にたくさん行ったから」と、旅行より犬の世話を優先する生活もお金に困らない理由なのかもしれません。しかも、63歳になると、教員だった頃の共済年金も受け取れるとのこと。

ただ、ご主人の治療にはそれなりに費用が掛かったはず。「そうなの、主人の退職金はすべて主人の治療に充てた」とのことで、それでは年金以外に生活費の原資は心配だろうと思いきや、若いころから資産形成として運用をしているとのこと。大阪では証券会社と信託銀行でそれぞれ口座を開いていたが、今は信託銀行での資産運用に集約。資産は4000万円くらいで、そのうち3000万円ほどを運用しているとのこと。「お金に困っていない」というのもうなずける。

最後に、これからのことを伺ってみた。「主人と行ったシドニーに、もう一度、あの時と同じようにファーストクラスで、あの時と同じ高級ホテルに泊まって、とあの旅行をなぞる旅をしてみたい」と夢を語られる一方で、「88歳になる母の在宅介護はきちんとしてあげたい。で、そのあと自分の最後は終末の緩和病院に入る」と明言されています。いつまで赤いベンツの運転をされるつもりかも伺ったところ、「車は80歳くらいまでは運転したいわね。でもそのうち国産の小さな車に乗り換えないと大変かも」と。「でも正直、これからのことはよくわからない。計画通りにいくとは思えないし」。ちょっと心配そうな顔をされていた。これが本音かもしれない。