私の心情(184)―地方都市移住52-いい仕事が見つかってよかった(大津)

コロナで親の介護を

60代は高齢の親を抱えていろいろ大変な面が出てくる世代です。2020年に大津に移住されたAさん、66歳もそうした一人です。もうすぐ90歳という母親と今、同居していますが、それまでは奥様と3人の娘さんのうち1名と、横浜で生活していました。両親の状況の変化から家族を横浜に残しての単身移住です。

コロナ禍もひどくなる時期に父親が罹患、人工心肺の治療を受ける事態になりました。何とか回復して在宅での生活も可能といわれたようですが、結局、特別養護老人ホームでリハビリをすることに。しかしその後、2021年11月に他界されてしまいました。母親も2020年1月にコロナに罹患し入院。間質性肺炎となり、一時は「もうダメだ」とあきらめたほどだったようです。そこから奇跡的に回復し、今は自宅で生活できるまでに元気になっています。もちろん間質性肺炎まで発症したことから無理はさせられませんし、人工関節を使っていて膝も悪く、年齢も年齢ですから、Aさんが同居することに決めたようです。

在宅勤務が可能になって介護ができた

Aさんは福知山市で生まれ、大阪吹田市で幼少時代を過ごした後、社会人になってからは横浜での生活が続いていました。大学卒業後に就職した会社は工場勤務からのスタートでしたが、製品を作る機械の開発・研究する分野に転身し、生産管理・生産技術が「自分のキャリアだった」とのことです。60歳で定年となり、その後再雇用で生産部門スタッフの育成にもかかわるなど65歳まで働きました。

大津への移住はまだ再雇用契約中だったのですが、会社がコロナ禍の対策として在宅での勤務を可能にしたことから、大津からオンラインで仕事をこなすことが可能になりました。これこそ、新しい働き方のメリットといえ得るかもしれません。

職業訓練センターから再出発

65歳で退職されたのですが、その後の職探しには苦労されたようです。やはり65歳どころか「60歳を過ぎると仕事はなかなか見つからない」とのことで、職業訓練センターに半年通うことにしたそうです。幸いにも現役時代に生産技術をキャリアの中心に据えていたこともあって、職業訓練センターではCADやCAMの再勉強をすることで地元の会社に就職することができたそうです。何とインタビューをさせていただいた前月のことです。1日7時間で週4日の時給での勤務だそうですが、「収入よりも働けることがうれしい」と話していました。

Aさんはインタビューのなかで「今の仕事は本当に楽しいんです」と何度も話しています。10名くらいの小さな工場なのですが、自分を頼りにしてくれているのがわかって、やりがいは大きいようです。

住むところも収入もしっかりと確保

お金の面についてもうかがいました。まず大津の実家は、2020年3月にAさん自身がすでに相続されています。1階には8畳の洋室と8畳の和室、そしてリビングがあり、2階にも3部屋がある大きな家ですが、築50年ということもあり、母親のためにもお風呂のリフォームは避けられなかったようです。一方、横浜の自宅はマンションですが1993年に購入したものですでにローンは完済していますので、こちらも負担はありません。住むところという面からみると、Aさんの場合には課題になる点はなさそうです。

収入面では、Aさんが働いて得ている所得はわずかとのことで、大津での収入の中心は母親の年金です。ただ、これで20万円弱の生活費をカバーできているようです。一方で、自身の年金22万円くらいは、横浜の妻(63歳)と娘(28歳)の生活費に充てられています。もちろん妻もパートをしていますし、娘も働いているので、横浜の方の生活費も問題ないようです。ちょっと失礼な話ですが、母親が元気なうちは母親の年金で生活に支障はないといえるでしょう。

金融資産に関してはアンケートでは「無し」と回答していたのですが、聞いていくとどうもそれなりの金額を持っているようでした。投資信託での運用もしているようですし、その面からも経済的に不安はないだろうと思えます。

大津の生活は楽しみも多い

絵をかくのが趣味で特に油絵が好きとのことで、「滋賀県立美術館は65歳以上無料なのはいいね」と嬉しそうに話していました。そのほかにもサイクリングが好きで、延べ4日をかけて楽しみながら琵琶湖を1周するなどの楽しみもあるようです。大津は人がそれほど多くないし、琵琶湖は見るところがいっぱいある、古いお寺もあるし、楽しむ場所には事欠かないとのこと。

それに職業訓練センターで仲間ができたこともよかったようです。1クラス20人くらいで、年齢のバラバラでいろいろな人が集まってくるため、ここでできた7₋8人の仲間は若い人もいて楽しいとのこと。

インタビューを終えて

住むところが確保され、年金の他に働いて得る収入があり、さらにそれなりの金額の資産もある(どうも金融資産は1億円近くある感じです)、ということでちょっと羨ましい生活だと映りました。

ただ、Aさんも気にされていましたが、母親の具合がもう少し悪くなった時にどういった生活パターンになるのか、失礼ながら亡くなられた後は、横浜に戻るのか、大津に奥様を呼び寄せるのか、悩むところだろうとお思います。奥様はまだ横浜に仕事があるということですが、そのくびきがなくなれば、横浜のマンションは子どもさんに残して、大津に引っ越してくることも可能かもしれません。

いずれにしても60代半ばの退職時期になって、親の状況を気にしながら、将来の自分の生活を考えるというのは、長寿社会だからこその課題なのかもしれません。