私の心情(5)―年金だけの生活なのに魔の手は伸びる
週末、再び岐阜の実家に帰省していました。私の家族がそろって久ぶりに祖父母に顔を見せるのが目的でしたので、週末の2日間だけでしたが全員(6名)が集まったというわけです。ただ、私は父親の検査に同行するため、月曜日、火曜日と合わせて4日間過ごしました。これも定年後で時間にゆとりが取れたおかげです。
初日は家族全員が揃う騒がしい日でしたが、89歳になった父、80歳になった母には、一緒にワイワイと夕食を摂ったことをきっと喜んだだろうと思います。2日目は私は名古屋での行動経済学会の大会を聴講しました。金融リテラシーの国際比較に関しての議論に参加できたことは、いい経験でした。
翌日は母から生活状況についてヒアリング。実家は父が介護認定を受けており、関連の医療費や医療用品の負担が大きいものの、父が公務員であったこともあり二人の公的年金だけで何とか生活ができるとのこと。田舎での生活は支出が少ないことがうらやましいところです。近所に生鮮食料品を買えるスーパーもなければコンビニもありませんので、近くにあるドラッグストアだけが頼りです。そこで介護関連用品と多少の食料品を買うために毎月決まった金額をプリペイドカードに入金するようです。そのほかに月2回、遠出してスーパーで肉や魚を買いだめするとのこと。田舎暮らしは簡単ではありませんが、生活費全体を抑えるということを考えると東京に比べてもっと安く生活できるところを探すということは不可欠に感じました。
ところで、最近「消費料金に関する訴訟最終告知のお知らせ」なるハガキが届いたとのこと。母は見てすぐに破ったようですが、私に見せたかったようで破った状態で見せてくれました。こんな田舎にまで間の手が伸びているとはとても気になるところです。まだしっかりしている母親は即座に破りましたが、電話をしていようものなら・・・・なんだか、考えさせられました。
最終日は父の検査に同行しました。平日の病院は80歳以上のお年寄りばかりが目立つ超高齢社会の縮図です。ここでも考えさせられることはいろいろありましたが、そのうちまとめてみたいと思います。